父のことは好きだった

父が亡くなって半年。
理想的な人生の終え方で悲しみはなかった。
几帳面な性格で身の回りを整理していたので亡くなった後の手続きにも苦労なく。

父のことは好きだった。
わかりやすい形での愛情表現はなかったけれど自分を含め家族を大事に思っていることは伝わっていた。

 

でも。この数年ほとんど言葉を交わしていなかった。
数年前にわずか半年の同居生活が破綻するきっかけになった、母からの

今まで(夫婦仲が)うまくいっていたのにあんたのせいでぐちゃぐちゃにされた!

という言葉のせいで。
私は実家に足を向けなくなったのだ。

ぶっきらぼうの父のことをたびたび愚痴っていた母の愚痴が少しでも減ればと思って申し出た同居、夫が単身赴任になったのでよかれと思い申し出た同居願い。父は賑やかになっていいのではと喜んでくれた。母は助かるわ~と。

そして、そこからいいように母にこき使われるようになった。仕事をやめろ、車は自分の乗り降りしやすい車に変えろ、味付けはこうしろ家事はこうしろ。父と母がどういうことで意見を異にするのかもわかった。あきらかに父の言い分のほうが正しかった。父の言い分に同調することも増えてきた頃、母との言い合いの末に言われたのが上記のセリフ。そして、母がほかの姉妹たちに一方的に顛末を言いふらしたために、私は姉妹全員から悪者呼ばわりされた。私は孤立したのだ。

その時、父が言った。
守ってやれなくてごめん。

その言葉だけに救われて、私たちは両親との半年の同居生活を終えた。