妬まれる

大人になってからのある日、姉から「昔、自分は親から可愛がられていないとひがみ、あなたに嫉妬していた」と言われた。

習い事への親の関わりの濃さ薄さでそれを感じていたという。
運動神経のいい姉は運動系の習い事、私は別の習い事をしていたんだけれどね。私自身は運動神経のいい姉が羨ましかったし、自分のほうが秀でているとは思えなかった。

姉は続けて「嫉妬してたから意地悪もずいぶんした。ごめん」とも言った。

その昔、家族ぐるみでつきあいある家の人たちがクリスマスにわが家へ来た時。プレゼントの交換会しようとなって、私たち子どもは親から多くはないお小遣いをもらってそれぞれプレゼントを選びにお店へ行った。そこに集まる人たちの喜ぶ顔を想像しながら選んだハードカバーの日記帳、かわいい絵が描いてあり鍵もついてた。

輪になってぐるぐるプレゼントをまわすあれ、ストップがかかったその時。
姉が手の中にあったプレゼントを開き大きな声で言い放った

「なにこれ!こんなもんいらない!」

 

その時誰か大人が彼女を諫めたのかな、もう覚えていない、自分にはなんのプレゼントだったかな、それも覚えていない。彼女が言い放ったそれは私が精いっぱい気持ちを込めて選んだプレゼント、それしか覚えていない。

人を傷つけるようなことを平気で言える、姉のことはずっとそう思っていた。
スポーツも進学先も就職先も、負けず嫌いの姉ならではの一流な選択、立派な結婚もしている姉です。

そして大人になって彼女の告白でわかったのです、彼女はその時のプレゼントが私が選んだものだとわかっていたうえで、私をうちのめすためにその一言を放ったのだと。

姉の思惑通り、私は何年も何十年もその傷を背負ったまま生きてきています。

姉妹の確執は、いろいろと形を変えて今でも私たちにまとわりつく。ある時はこの組み合わせで敵味方になり、また別の時には別の組み合わせで敵味方になる。

私たちを翻弄したのはいつも母だった。なにか起きた時に、いつも言葉巧みに「私はいつもあなたの味方よ」というそぶりをして他の誰かを売るのだ。聖書に出てくるユダのように。

自分の考えに相槌を打っただけの娘を売る。自分の考えがほかの家族に批判されたときに「だって〇〇がそう言ってたから」と言って自分の責任は回避し、娘を売るのだ。そうやって私は今まで何十年も姉妹から妬まれ疎まれてきた。

自分が母になってやっとわかった。
親というのは、たとえ自分が悪者になっても子ども同士が仲良く、夫と子どもたちが仲良くできるように立ち回るものなのではないか、と。
私の母は真逆の親だった。