自分のこと わが子のこと

履歴書に書くような経歴…主に学歴だが…だけを見るとまあまあ悪くはない自分である。

しかし「私」を自由記述であらわそうとすると

努力嫌い、明日できることは明日にまわすタイプ
たまに集中するときは過集中気味
友人関係に苦労する

迎合できない性格

こんなところか。

お医者様に診断されたこともないし誰かに指摘されたこともないのだが、ひそかに発達障害のグレー一歩手前だと思っている。グレーにも行きつかないから、性格でしょの一言で済まされそう。

うまれたわが子、娘はよく癇癪を起す子だった。生まれた時から育てにくいと感じる子だった。自分の中にある、ある特性をさらに少し煮詰め凝縮させたような気質の子だった。このころにはもう発達障害の特性が社会的に認知されていたので、私は「これかもしれない」と思うようになったのだ。

このころは、まだ、母との関係は悪くなかった。
私はよくある子育て初心者の娘と同じように、母にこのことを相談したのだった「お医者様の診断をうけてみようと思うんだけれど」

 



なに考えてるの?自分の子をわざわざ障害者に仕立てる親がどこにいるのよ!!

これが母の答えだった。
母は病気で半身不随になったり障がい者を抱えてがんばってる方とかのことをよく話題にしていた。気遣っているのだと思っていた。障害に理解ある慈悲深い人なのだと思っていた。しかしこのやりとりを通じてもう一度振り返った時、わかってしまったのだ。

母は、弱き人を気遣う自分でありたいだけで、弱き人として気遣われることは屈辱に思う人だったのだ。優位に立ちたい、見下されたくない、というだけの人だった。

そういえば昔から自慢話が多かった。
知り合いの方から「お母さまから聞いたわよ、すごいわね」と聞かされること多々。てっきり子供を愛する親ばか自慢なのかと思ってきたが、自分がすごいと言われたいがための自慢話の吹聴だったとするとすべて合点がいく。

人から憐れまれるような汚点はプロフィールに載せたくない、母。

自分が親になってみて、その後も、孫と接する母を見ながらいろいろ真実が見えてきてしまった。ああなりたいと思えることが何もない私の母。私の親業はすべて母を反面教師としての試行錯誤の連続だった。

 

私はわが子を障がい者に仕立てようとする、悪い親なのか。

 

結局私は娘を診断してもらうことはしなかった。もちろん心の片隅にその可能性はおきつつ、対人関係で苦労する娘のフォローにその後も振り回されることになるのだ。
いわゆる発達障害の二次障害的なものも思春期時代に発症した。
とはいえ、彼女の人生を通じて今まで療育を勧められることもなかったし、診察を勧められることもなかった。しかしずっと「おかしいと思った時点で療育をするのが彼女のためだったのか」と自問自答する、私なのであった。