父のことは好きだった(3)

前回の続き

救急搬送されたものの意識はあるという話だった。
私はお見舞いには行きたいけれど行かないと伝えた。
そして。その時に、姉から言われたのだ。

お父さんはあなたを頼りにしているのよ、だから顔を見せに行ってあげて。会いたがってるはずよ、と。


その連絡があったから、私は父の病室へ父に会いにいったのだ。
はじめて手を握った。はじめて頬に手をふれた。夫も一緒だった。わが子の就活でまずは一つ内定もらえたのよ、という話もできた。10分くらいして母が来たので私たちは帰った。

幸い、1週間もたたずにで退院できた。
退院したその足で、父は私に会いにきてくれた。でもその時は母がそばにきっちりついていた(あたりまえか)足慣らしの散歩にいくところだというので家にあがってとも言わず玄関先で少し会話しただけ。またね!と。

そこから数日後。夜に母から電話がきた。父が倒れたという電話。
母が頼りにしていた妹は遠方に出かけていたのだ。
私が父のところにたどりついたのと、私が頼んだ救急隊がついたのとほぼ同時。
父はもう息もしていなかったし、救急車が運んでくれた病院へあとから追っていくのが精いっぱい。先生に亡くなったという診断をお願いしたのは私だった。

 

姉も妹も、あとからやってきた。夜中には病院に全員揃い、そこから怒涛の葬儀準備がはじまった。泣く暇もない。悲しむ暇もない。地元に詳しいのは私と妹だけだからだ。

葬儀社に電話をいれ、深夜までバタバタして帰宅した、その翌朝。姉からLINEがきた。

 

前回少し父のことを世話しその後お役御免になった、そのあと。
姉が両親と会う機会あったらしく、母と妹のやり方に少し言いたいことがあった姉がそのことを話題に出し諫めたところ母は案の定腹をたてて席を立ち。

母がいなくなったところで父と姉とで話を続け、そこで、姉が「お父さんは誰に面倒みてもらいたいの?」と尋ねたところ、父が「mgfgmに面倒みてもらいたい」と答えた、と。理由が「mgfgmが一番冷静な判断を下せるから」だと。だからあなたがお父さんのために今動いてくれていることはお父さんの望みだと思う、と。

声をあげて泣いた。涙が止まらなかった。

実は1か月ほど前に偶然近所で父とすれ違ったのだった。ひさしぶり!と一通りの挨拶をした後、父に「今度ゆっくり話をしたいんだけど」と言われたのだ。でも父と話をするときにはいつでも母がそばにはりついていてどうせ険悪になることがわかってるので、その時に「またね!いつか機会があれば!」と気持ちのこもらない「またいつか」を父に投げつけてしまっていたのだ。その頃は当然お別れが近いなんて思ってなかったし、父が私を頼りたがっているなんていう姉からの報告もなかったから。

順序としては姉に「mgfgmにお願いしたい」と宣言した後の偶然の再会だったからきっと内容はそういうことだったのだろうと思うのだけれど、私は父のことが好きだったのに、父の「ゆっくり話したい」という願いに冷たい拒絶をしてしまったのだ。

後悔してもしきれない。好きな父を悲しませてしまったのだ。
自分が母に疎まれて父と疎遠になることは自分を納得させられたのだけれど、父を悲しませたのが自分だったという、この事実は一生消えない。