父のことは好きだった(2)

前回の続き

実家に足を向けなくなったが、対外的には「仲悪くない」振りができていた。
平静を装って、会えば母と話をすることもできていたし。
しかし自分から実家に行くことはしなくなった。

父のことは好きだったが、すれば母にもしないわけにはいかないので父の日とお誕生日のお祝いはしなくなった。ほかの姉妹は父にも母にもしていたようで、実家の玄関にはお祝いを手に満面の笑みの両親の写真がいくつも飾られていた。

その後、年齢相応に父が具合を悪くするようになって、母の言う通りに動く私の妹がもっぱら病院の付き添いやあれやこれやを請け負うようになっていた。

それが、彼女の都合が悪くなったある時に私にヘルプ要請が来て以来、しばらく私に要請が続くようになった。もちろん、私は父のことが好きだったので喜んで引き受けた。しかし母の価値観は相変わらず私には受け入れられないものが多かったのだ。

たとえば、自分が高血圧で父もそうだからとほぼ塩分ゼロの食事、しかし父の運動量はすごかったのだ。ゴルフや庭仕事で汗をかくことも多く塩分ゼロなど考えられない、半年の同居中でもこのことで言い合いになったほど。
私がいなくなった後もこれは続いていたのだが、具合悪い症状の一つがこの塩分不足によるものだったとあとで判明。医者に怒られて初めて受け入れた母。

そんなことがほかにも。自分の思い込みが絶対で父の意思などお構いなし、というやり方に私はまた疑問をおぼえ、関わるようになってまた母と対立するようになった。私としては父の体調のこと、父のやりたいようにさせてあげたら、というだけだったのだけれど、自分に歯向かう憎き存在、と母はまた思ったのだろう、妹に何か伝えたらしく、ある日、私と妹が言い合うことになった。

そして。私は、そこで妹にすごい口調で罵倒された。その時の妹は母の価値観に洗脳されているかのよう。宗教と一緒だ、同じ価値観の人に私の考えなど理解できるわけもない、私は黙って実家を去ることにした。2回目の破綻だ。

その時に階段の踊り場から顔を半分だけ出して私たち姉妹のやり取りを覗き見していた母のあの顔は決して忘れない。母によって姉妹仲も最悪にさせられたのだ。

相変わらず具合悪いままの父のことは心配だったがその後3か月一切連絡を取らなかった、父だけでなく、ほかの姉妹とも、だ。どうせまた悪者にされてることはわかっていたので。

そして、3か月後、関係悪くない姉から「父が心筋梗塞で救急搬送された」と連絡がきた。